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3年前のあの日・・・

3年前、私は職場で例の震災を体験しました。私の職場というのは学習塾なのですが、その日は高校入試の合格発表だったので、その当時一緒に働いていた人と生徒からの報告を待っていました。
 
15時過ぎだったでしょうか、建物がユラユラと妙な揺れ方をしたので「あれ?」と思ったところ、さらに揺れは大きくなり恐怖を覚えると共に気分が悪くなるほどの横揺れが。確か震度4~5だったかな?職場にはテレビもないですし(あっても見ちゃダメですし)、私はスマートフォンも持っていないのでラジオをつけたところ、NHKのアナウンサーが大声でくり返し叫んでいた。「もうすぐ津波が来ます!沿岸部の人はできるだけ高台に避難してください!」ずっとこれのひたすらくり返し。そのとき私は「大地震」というイメージしかなかったので、この放送には「え、津波?」という感じでした。
 
その後放送を聞いているとどうやら東北がやばいらしいということ、地震よりもさらに津波がやばいらしいということなどが次第にわかってきました。ネットで確認したところ、Yahooのトップページには東北で震度7などと表示されており、これは阪神大震災以上に大規模の震災であるということも明らかに。自宅に帰ってからテレビで見たのが、仙台平野の農家や車などが瓦礫と共に次々に濁流に呑み込まれていく例の映像と、解説の人も絶句するほどの気仙沼の火の海の映像で、どちらもとてもこの世の物とは思えない衝撃的なものでした。もちろん最も衝撃的だったのが、沿岸部の町や村を一気に呑み込んでいった、高台からの生々しい津波の映像です。
 
さらにそんな地震津波の衝撃がどっかに行ってしまうほどのさらなるショッキングな出来事、福島の原発事故が発生。新聞の報道などを見ても、死者や行方不明者はどんどん増えていきますし、宮城県南三陸町などは住民3万人のほとんどが安否が確認できないというこれまた衝撃的な状況に。当時は余震も毎日のように起きており、長野や新潟で震度5なども当たり前。漫画の「日本沈没」が現実に起きたかのような、この世の終わりとも思えるような異様な状況でした。
 
去年の夏、私はレンタカーで東北各地を、被災地を中心にまわる旅行をしました。宮城県の松島から岩手県気仙沼まで、沿岸沿いをひたすらドライブしたり。場所によって、瓦礫がそのままになっている地域もあったり、復興をひたすら急いでいる地域もあったり。例の南三陸町などは、もともと町があった場所は何もないだだっ広い空き地になっていましたが、高台では家を作ったりしていて東北の人の逞しさを感じました。トラックやダンプカー以外立ち入り禁止になっている場所も多くあり、あまり震災の現場をじっくりと見ることはできなかったのですが・・・。
 
一つ印象に残ったのが、山を切り開いていて何を作っているのかと思ったら、そこは新設の墓地で、真っ黒でピカピカの新しいお墓だらけだったこと。これにはぞっとしました。新しくてきれいなお墓はそこらじゅうにありましたね。そしてもう一つ、カーナビにはコンビニやらガソリンスタンドやら市役所やらが全て表示されているのですが、実際はそこには何にもなかったことですね。これも当たり前のことなんですが、カーナビの地図との比較で震災で全てが失われたという実感をもつことになったわけです。あとは「津波のバカ!」という落書きがあって、ちょっと苦笑いしてしまったりとか・・・。
 
東日本大震災に関する思い出について、まとまりのない文をダラダラと書きました。「震災を風化させてはならない」とはいうものの、どうしても当時の記憶や衝撃は月日と共に薄れていくわけです。テレビでは震災記念式典の様子をやってましたが、安部総理のスピーチと、天皇陛下の御言葉では、言葉一つ一つの重さが全然違うんですよね。安部さんの言葉は、原稿棒読み的な感じで、なんつーか軽いです。まあ震災のことを真剣に考えていたら、原発は即全廃でしょうしオリンピックで浮かれたりなんかしないわけで。